東京地方裁判所 昭和60年(行ウ)179号 判決
原告(1)
安藤元雄
外三〇名
右訴訟代理人弁護士
増本一彦
長谷川宰
増本敏子
野村正勝
中込泰子
松本素彦
木村和夫
飯田伸一
平岩敬一
間部俊明
岩橋宣隆
滝本太郎
右増本一彦訴訟復代理人弁護士
鈴木義仁
古川武志
被告
国
右代表者法務大臣
遠藤要
右指定代理人
中山弘幸
外一名
主文
1 原告らの衆議院議員総選挙の差止めを求める訴えをいずれも却下する。
2 原告らの損害賠償請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、公職選挙法一三条、同法別表第一及び同法附則二項、七項ないし九項による選挙区及び議員定数の定めが、選挙区における議員一人当たり人口の最大較差を二対一未満とし、かつ、人口比例に基づき逆転区を禁止する基準によつて改正されるまで、衆議院議員総選挙を行つてはならない。
2 被告は、原告らに対し、各金三〇万円を支払え。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
4 2につき、仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
(本案前の答弁)
主文1、3と同旨
(本案の答弁)
原告らの請求をいずれも棄却する。
主文3と同旨
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 当事者の地位
(一) 原告ら
原告らは、いずれも神奈川県第三区の選挙人である。
(二) 被告
被告は、後述(3(二))するとおり、衆議院議員総選挙を施行するものである。
2 衆議院議員定数配分規定の違憲性
(一) 投票価値の平等
憲法一四条一項は、すべての国民が政治的価値において平等であることを保障している。
国民の選挙における政治的価値の平等は、国民各自の投票する一票の議員の当選に与える影響力が、その居住するいかなる選挙区においても平等であることを意味していて、投票価値の平等というべきものである。
衆議院議員総選挙において、投票価値の平等は、一人一票主義に基づき、選挙区における議員一人当たり人口又は選挙人数(以下、(一)において「人口」という。)の最大値と最小値の較差が二対一を超えないこと、換言すれば、わが国の人口を衆議院議員定数で除した全国平均の議員一人当たり人口の上下三分の一を超えて選挙区に議員定数を配分しないこと、及び、選挙区の人口と議員定数配分との間にいわゆる逆転現象がないことにより保たれるものである。
(二) 昭和五八年総選挙当時の状況
昭和六一年法律第六七号による改正前の公職選挙法(以下、一般に公職選挙法を指すとき又は現行のそれを指すときは、「公選法」と、特に右改正前のものを指すときは、「旧公選法」という。)によつて施行された昭和五八年総選挙(同年一二月一八日施行)当時の衆議院議員定数配分の状況をみると、以下のとおりである。
(1) 昭和五〇年国政調査による議員一人当たり人口は、最大の千葉県第四区が四一万一八四五人、最小の兵庫県第五区が一一万〇七四八人で、その間の較差は三・七二対一であつたが、昭和五五年国政調査による議員一人当たり人口は、最大の千葉県第四区が四九万九七六三人、最小の兵庫県第五区が一一万〇〇五一人で、その間の較差は四・五四対一へと拡大した。
(2) 神奈川県第三区の場合、議員一人当たり人口は、昭和五〇年国政調査によると四〇万二四二六人で、最小選挙区との較差は三・六三対一であつたが、昭和五五年国政調査によると四六万八六五〇人で、最小選挙区との較差は四・二六対一へと拡大した。
(3) 昭和五五年国政調査による議員一人当たりの人口の最小選挙区との較差が二対一以上の選挙区は神奈川県第三区を含め、合計五四選挙区あり、全選挙区数一三〇の四一・五四パーセントを占めていた。
(4) 昭和五五年国政調査による議員一人当たり人口の全国平均二二万九〇八一人の上下各三分の一(上限三〇万五四四一人、下限一五万二七二一人)を超える選挙区は、上限を超えるものが神奈川県第三区を含めて二四選挙区、下限を下回るものが岩手県第二区など二一選挙区、合計四五選挙区あり、全選挙区数一三〇の三四・六二パーセントを占めていた。
(5) 議員一人当たり人口の最大選挙区である千葉県第四区より人口が少ないのに議員定数の配分が多い、いわゆる逆転区は、北海道第二区など合計六九選挙区あり、全選挙区数一三〇の五三・〇八パーセントを占めていた。
(三) 昭和六一年総選挙当時の状況
昭和六一年法律第六七号による改正後の現行の公選法(以下、特に旧公選法と対比するため「現行公選法」ともいう。)によつて施行された同年総選挙(同年七月六日施行)当時の衆議院議員定数配分の状況をみると、以下のとおりである。
(1) 昭和六〇年国勢調査による議員一人当たり人口全国平均値二三万六四二四人を一とした場合の選挙区間の較差は、別紙「較差一覧表」のとおりである。
(2) 右平均値を一とした場合の上下各三分の一(上限一・三三三、下限〇・六六六)の範囲を逸脱している選挙区は、上限を超えるものが神奈川県第三区を含めて二五選挙区、下限を下回るものが岩手県第二区など一七選挙区合計四二選挙区あり、全選挙区数一三〇の三二・三〇パーセントを占めている。
(3) 逆転区についてみると、定数四人の選挙区のうち最大の人口をもつ神奈川県第四区より人口が少ないのに定数五人を有する選挙区は三七選挙区ある。
また、定数三人の選挙区のうち最大の人口をもつ広島県第一区より人口が少ないのに定数四ないし五人を有する選挙区は五八選挙区あり、全選挙区数一三〇の四四・六一パーセントを占めている。
(4) 神奈川県第三区における議員一人あたり人口は、最小選挙区である長野県第三区の二・六九七倍であつた。
(四) 両総選挙当時の議員定数規定の違憲性
右(二)及び(三)のとおり、昭和五八年総選挙及び昭和六一年総選挙当時、公選法の衆議院議員定数配分規定は、いずれも選挙区の議員一人当たり人口の最大値と最小値の較差が二対一を超え、かつ、選挙区の人口と定数配分との間にいわゆる逆転現象があつたもので、憲法前文一段、一四条一項、一五条、四一条ないし四四条、四七条に違反し、全選挙区にわたつて無効である。
なお、東京高裁昭和五九年(行ケ)第八号、同第二二号・同年一〇月一九日判決は、昭和五八年総選挙の神奈川県第三区における選挙を違法であると宣言し、その上告審である最高裁昭和六〇年(行ツ)第二三号・同年七月一七日判決は原審の右判断を是認したから、衆議院議員定数配分規定の違憲性が解消されない限り、選挙を施行してはならないことについて拘束力が生じたものである。
3 差止請求について
(一) 訴訟の性格及び原告適格
原告らは、人格権と基本的人権としての選挙権の侵害を理由として、衆議院議員総選挙の差止を求める無名抗告訴訟を提起しているのであり、民衆訴訟を提起しているのではない。
(二) 処分性の存在及び被告適格
衆議院議員総選挙の施行の公示は、内閣の助言と承認により天皇が国事行為として行い(憲法七条四号)、選挙事務の管理は、被告の委任事務として都道府県選挙管理委員会が行い、自治大臣がこれを指揮監督する(公選法五条一、二項)。
ところで、天皇の公示には、天皇自身によるなんらの意思決定の契機がなく、また、内閣の意思決定は内部的なものである。都道府県選挙管理委員会も自ら意思決定をする主体的地位にはない。総選挙の施行及び公示の期限は法定されており(公選法三一条一ないし三項)、内閣といえども総選挙施行の可否を決定することはできない。
それにもかかわらず、衆議院議員総選挙は国民に対し義務を課し、行動を抑制するものである。したがつて、衆議院議員総選挙は、被告の行政部門に属する右のような各機関が複合的、総体的に関与しながら全体として被告の公権力の行使として表現されるものであると考える。
(三) 差止要件の存在
公選法の衆議院議員定数配分規定は、右2のとおり違憲・無効であり、かつそのことは一見して明白であり、同法のもとで総選挙が行われた場合に生ずる選挙の瑕疵の重大性、原告らの被る多大な精神的苦痛に徴すると、事前の救済の必要性が顕著である。
以上により、選挙区の議員一人当たり人口の最大較差を二対一未満とし、かつ人口比例に基づき逆転区を禁止する基準により公選法の衆議院議員定数配分規定が改正されるまで、衆議院議員総選挙の差止めが認められるべきである。
4 慰藉料請求について
(一) 違法事由
衆議院議員総選挙の施行に当たる内閣、自治大臣等行政部門に属する各機関は、昭和五八年総選挙及び昭和六一年総選挙を通じ、衆議院議員定数配分規定の違憲無効状態の解消のため努力すべきところ、これを怠り、有機的組織体としての被告の権限の行使として、違法な右各総選挙を施行し、原告らに対し不平等な選挙権の行使を余儀なくさせた。
(二) 加害公務員及び故意・過失
前記(3(二))の各公務員は、右各総選挙を行うに当たり、公選法の衆議院議員定数配分規定が違憲・無効の状態にあることを知り又は容易に知り得たから、故意又は過失があつたものである。
(三) 損害
原告らは、右各総選挙において、投票価値の平等を害され、筆舌に尽くし難い精神的苦痛を被つたものであり、その慰藉料としては、各金一〇〇万円が相当である。
5 まとめ
よつて、原告らは被告に対し、請求の趣旨記載のとおり、衆議院議員総選挙の差止め及び前記慰藉料のうちの一部請求として各金三〇万円の支払いをそれぞれ求める。
二 請求原因に対する認否並びに被告の主張
1 請求原因1(当事者の地位)(一)(原告ら)の事実は不知、同(二)(被告)は争う。
2 同2(衆議院議員定数配分規定の違憲性)(一)(投票価値の平等)は争い、同(二)(昭和五八年総選挙当時の状況)及び同(三)(昭和六一年総選挙当時の状況)の各事実は認め、同(四)は争う。
3 同3(差止請求)について
すべて争う。
(一) 処分性の欠如
選挙とは、「国家機関としての国民が公務員を選定し指名する行為」であると一般的に定義付けられていることからも明らかなように、その行為の主体は、「国家機関たる国民」であるというべきである。「公務員を選定し、及びこれを罷免することは国民固有の権利」であり(憲法一五条一項)、「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」(同四三条一項)のであるから、主権者たる国民の意思を選挙によつて選ばれた代表者を通じて政治に反映する代表民主制にとつて、その固有の権利の行使である選挙は、不可欠かつ至高な行為であることはいうまでもない。この選挙の本質があくまでも国民の意思の発現にあり、その故に代表民主制にとつて不可欠かつ至高な行為として何人も差し止められないことには異論がないところと思われる。にもかかわらず、これを無視して、選挙を全体として被告の公権力の行使であるとする原告らの主張は、到底是認できない独自な見解といわなければならず、原告らの本件総選挙差止請求は、既にその前提において理由のない見解に基づくものであり、その本質において許されるべきものでないから、失当である。
(二) 民衆訴訟であること
原告らが求めている本件総選挙の差止めは、神奈川県第三区の選挙人という原告らの個人的な法律上の利益にかかわらない資格、すなわち、選挙権を有する者という資格において提起したものであつて、行訴法五条に定める民衆訴訟に当たるものにほかならず、抗告訴訟に当たるものではないのである。そうすると、民衆訴訟が、法律の定める場合において、法律の定める者に限り提起することができるものであることは同法四二条により明らかであり、本件総選挙差止訴訟を提起することができる旨を定めた規定はないから、本件総選挙差止訴訟が不適法であることは明らかである。
(三) 被告適格について
本件総選挙差止訴訟が無名抗告訴訟であれば、当然に同法一一条の被告適格に関する規定が適用ないし準用されることになる。しかるに、本件総選挙差止訴訟は、行政庁でない国を被告としていることは明らかであるから、右定められた被告適格を誤つた訴えとして不適法といわなければならない。
4 同4(慰藉料請求)について
すべて争う。
(一) 各総選挙の違法性の不存在
(1) 昭和五八年総選挙について
昭和五八年総選挙については、既に最高裁大法廷昭和六〇年七月一七日判決・民集三九巻五号一一〇〇頁が、旧公選法一三条一項、同法別表第一、同法附則七項ないし九項の衆議院議員定数配分規定は全体として憲法一四条一項に違反していたものであるとし、昭和五八年総選挙を全体として違法と判示しているところである。
しかしながら、このように旧公選法の規定の違憲を理由に昭和五八年総選挙が全体として違法とされても、旧公選法に従つた行政機関のその執行行為が同時に国家賠償法(以下「国賠法」という。)一条一項にいう違法と評価されて損害賠償の対象となるかは別問題といわなければならない。なぜなら、国賠法一条一項は、国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違背して当該国民に損害を加えたときに、国又は公共団体がこれに賠償する責に任ずることを規定するものであり、昭和五八年総選挙を執行した行政機関の行為が同項の適用上違法となるか否かは、当該行政機関の行為が個別の国民に対して負う職務上の義務に違反したかどうかの問題であつて、当該行政機関が従つた旧公選法の規定内容の違憲性の問題とは区別されるべきだからである(最高裁第一小法廷昭和六〇年一一月二一日判決・民集三九巻七号一五一二頁参照)。
翻つて考えてみるに、行政機関は、わが憲法上「誠実に法律を執行」すべき義務を負つているものである(七三条一号)。すなわち、すべて国会が制定した法律は、国会によつて合憲と解釈されて成立したのであるから、その意味において合憲性の推定を受けるものと解されるが、この「国権の最高機関」たる国会が定めた法律を、すべての行政機関は、その法律の内容が憲法に適合しないと認められる場合でも、これを理由としてその誠実な執行を拒否することは許されないものと解されている。このように、行政機関は、国民全体に対して、いかなる法律にしろ、現に存在し、効力を有する法律である以上、その法律の誠実な執行を憲法上義務付けられているのである。
そうすると、昭和五八年総選挙当時、後に違憲と評価されたとはいえ、旧公選法が有効に存在していたのであるから、行政機関はこれに従つた執行をすべき義務を国民全体に対して負つていたというべきであり、逆に、原告らの主張の前提となるような、その執行を差し控えるべき職務上の法的義務を個別の国民に対して負つていたとは、到底認められないことになる。すなわち、昭和五八年総選挙を執行した行政機関の行為には、国賠法一条一項に定める違法に該当する事由は何ら存在しないのである。
(2) 昭和六一年総選挙について
昭和六一年総選挙は、現行公選法に従つて執行されたものであるが、この現行公選法については、旧公選法と異なり、未だこれを違憲とした裁判例は存在しないところである。そうであれば、昭和六一年総選挙は合憲性が推定される現行公選法に従つて執行されたものであるから、いかなる意味においても違法といえないのみならず、これを執行した行政機関に個別の国民に対して負う職務上の法的義務に違背した事由は全く認められないのである。したがつて、昭和六一年総選挙についても、国賠法一条一項に基づいて行政機関のその執行行為を違法とする原告らの主張は、全く理由がないといわなければならない。
(二) 故意又は過失の不存在
(1) 国賠法一条一項に定める「故意」とは、公務員が公権力を行使して職務を執行するに当たり、自己の行為によつて違法な事実が発生することを認識しながらこれを行う場合の心理状態を、また、「過失」とは、注意を欠いたため右の認識をすることなくしてこれを行う場合の心理状態をそれぞれいうものであり、この「故意又は過失」が帰責事由とされたのは、その違法な事実が発生する職務執行行為を回避できたにもかかわらず、回避のための行動を採らなかつたところに非難可能性が認められるからである、と一般的に解されている。そうすると、逆に、右の回避可能性がない場合には、仮に職務執行行為によつて違法な事実が発生したとしても、当該職務執行行為に携わった公務員の心理状態のいかんを問うまでもなく、故意又は過失による損害賠償責任は問いえないものといわなければならない。なぜなら、その場合に右責任の前提たる非難可能性が行政機関の職務執行行為には認められないからである。
(2) そこで、本件で問題となつている昭和五八年総選挙及び昭和六一年総選挙の執行行為について、右の回避可能性の有無を検討する。
まず、昭和五八年総選挙及び昭和六一年総選挙がともに、衆議院の解散により行われたものであることは公知の事実である。憲法五四条一項は、衆議院が解散されたときには、「解散の日から四十日以内に、衆議院議員の総選挙を行い」と規定して、衆議院議員の総選挙の必要的実施を義務付けているのである。そして、憲法は、選挙に関する事項については法律で定める旨を規定し(四七条)、その法律として公選法が制定されていることはいうまでもない。そして、衆議院議員の総選挙を執行するに当たつて、行政機関がこの公選法の規定に基づいてこれを誠実に執行することは、、当然のことであるだけでなく、憲法上の要請でもある(七三条一号)。そうすると、昭和五八年総選挙及び昭和六一年総選挙に際し、行政機関は、当時の公選法に定められた手続に従つて誠実にこれを執行するのみであり、その執行を差し控える余地はない。ましてや、行政機関が、その執行すべき法律に違憲の疑いのある場合にはその改廃のために努力すべきであるといつた考え方は、わが憲法の三権分立制を無視した議論であつて到底是認されるものではない。
(3) このように、昭和五八年総選挙及び昭和六一年総選挙において、その手続を執行した行政機関には、当時の公選法に基づいてその規定に従つた手続を執行する以外に何らの途もあり得なかつたのであるから、その後に右当時の公選法の衆議院議員定数配分規定が違憲と評価されても、右執行行為について国賠法一条一項にいう故意又は過失責任はこれを問い得ない、というのが相当である。
(三) 本件慰藉料請求の可否
(1) 国賠法一項の規定に基づき、慰藉料を請求するためには、被害者が、違法な公権力の行使により社会生活上の受忍限度をこえた精神的苦痛を被ることが必要である。この場合の精神的苦痛は、これに対して金銭賠償たる慰藉料が支払われるのであるから、慰藉料によつて除去ないし軽減できるものでなければならず、その意味で個人的、具体的なものであることが必要である。したがつて、いわゆる公憤のごとき精神的苦痛は、右にいう意味で個人的、具体的でないばかりでなく、慰藉料によつて何ら除去、軽減されることのないものであるから、慰藉料請求の理由とはなり得ないというべきである。
(2) そもそも、選挙制度は選挙人団という国家の機関が議員という国家の他の機関を選任する制度であり、選挙人は国家の機関であつて、選挙権は権利といつても、私人が私人に対して有する私権や私人が国家に対して有する公権とは趣きを異にし、国の機関の権能ともいうべきものである。このような特質を有する選挙権につき、その投票価値の不平等に伴うものは個人的精神的苦痛にはなじみにくいものであり、また、国家が国家の機関に対し金銭賠償をするということも法律的に是認しがたいことである。
(3) また、仮に、原告ら主張のように、昭和五八年総選挙及び昭和六一年総選挙当時の衆議院議員定数配分規定が違憲だとした場合の効果については、周知のように多くの見解があるが、最高裁昭和五一年四月一四日大法廷判決・民集三〇巻三号二二三頁の多数意見は、「選挙区割及び議員定数の配分は、議員総数と関連させながら、前述のような複雑、微妙な考慮の下で決定されるのであつて、一旦このようにして決定されたものは、一定の議員総数の各選挙区への配分として、相互に有機的に関連し、一の部分における変動は他の部分にも流動的に影響を及ぼすべき性質を有するものと認められ、その意味において不可分の一体をなすと考えられるから、右配分規定は、単に憲法に違反する不平等を招来している部分のみでなく、全体として違憲の瑕疵を帯びるものと解すべきである」としている。このように、衆議院議員定数配分規定が全体として違憲の瑕疵を帯びるものであるならば、原告らの選挙権のみに違憲の瑕疵があるのではなく、選挙人たる国民の全選挙権に違憲の瑕疵があることになり、その結果、原告らのみが特別に個人的、具体的苦痛を被つたとは到底いいがたいのである。したがつて、仮に、原告らにその主張する理由により慰藉料が認められるとするならば、ことは原告らのみならず、選挙人である国民全員に対しても、同様の理由により認められなければならないことになろう。この結果が何人も是認することのできない極めて不当なものであることは明白である。
(4) 翻つて、原告らが被つたと主張する精神的苦痛の内容を考えるに、それは、究極のところ、憲法が採用する代表民主制の下における選挙制度のあり方に対する危機感ないし憂慮の念に等しいものと評価でき、いわゆる公憤の域を出ないものというべきである。したがつて、原告らが被つたと主張する精神的苦痛は、何ら慰藉料の対象とならないものである。しかも、原告らが本訴を提起した目的が、被告から些少な慰藉料を得てその主張する精神的苦痛を除去、軽減することではなく、裁判を通じて、公選法の衆議院議員定数配分規定の不平等の是正促進を図るにあることは、その主張の趣旨から明らかであり、おそらく原告らも何ら争わないところと思われる。そうすると、いずれにしても、原告らは、慰藉料の対象となる精神的苦痛を被つていなかつたことになる。
第三 証拠〈省略〉
理由
一本件の差止請求に係る訴えについて
原告らは、公選法の衆議院議員定数配分規定が違憲・無効であるとして衆議院議員総選挙の差止めを求めており、原告らの主張によると、この差止請求に係る訴えは、原告らの人格権と基本的人権としての選挙権の侵害のおそれを防止することを目的とする無名抗告訴訟であるとしているものと解される。
しかし、右の訴えは、その実質において、選挙権を有する国民全体に共通する利益にかかわるものであり、原告らの権利又は法律上保護された利益に基づくものとはいえないから(なお、原告らが挙げている人格権については、ただそれが抽象的に挙げられているだけで、その侵害のおそれの具体的な態様、程度等につき、主張も立証もないから、原告らの権利利益を基礎づけることはできない。)、結局、選挙人たる資格で提起するもので、民衆訴訟に該当するものというべきであり(行訴法五条)、民衆訴訟は、法律に定める場合において、法律に定める者に限り、提起することができるものである(同法四二条)。しかるに、右の訴えのように選挙人たる資格で衆議院議員総選挙の差止めを求める訴訟を提起することができる旨定めた法律は存在しない。したがつて、右の訴えは、いずれも不適法である。
二本件の損害賠償請求について
原告らは、その損害賠償(慰藉料)請求の根拠として、衆議院議員総選挙の施行に当たる行政部門に属する各機関が公選法の定める衆議院議員定数配分規定の違憲無効状態の解消のための努力を怠つたという不作為を違法であるとしているものと解される。
右の違憲無効状態の解消とは、公選法の右定数配分規定を原告ら主張のような合憲の規定に改めることにほかならないこと、また、法律の改正については、その権限自体は立法府である国会にあつて、行政府に認められているのは、内閣において法律の改正案を国会に提出する権限であること(内閣法五条参照)に鑑みると、原告らのいう、行政部門の違憲無効状態の解消のための努力とは、公選法の右定数配分規定を原告ら主張のような合憲の規定に改める改正案を国会に提出することを根幹とするものであり、原告らは、行政府が右のような公選法の改正案を国会に提出しない不作為(以下「本件不作為」という。)を国家賠償法上違法であるとしているものということができる。
ところで、国家賠償法一条一項は、国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違背して当該国民に損害を加えたときに、国又は公共団体がこれを賠償する責に任ずることを規定するものである。
そこで、行政府(そこに属する公務員)が法律の改正案の提出に関し、個別の国民に対する関係においていかなる法的義務を負うかをみるに、前述のように、法律の改正の権限は立法府にあり、行政府に認められているのは、それに付随する法律の改正案の提出権であること、行政府は立法府が制定した法律を誠実に執行しなければならず(憲法七三条一号)、裁判所による違憲判断が確定した場合は格別、それが憲法に適合しないとの理由で執行を拒否しうる立場にないこと、立法府(そこに属する国会議員)は、その立法行為に関し、原則として、国民全体に対する関係で政治責任を負うにとどまり、個別の国民に対応した関係で法的義務を負うものではなく、右の立法行為は、立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行うというごとき、容易に想定し難いような例外的な場合でない限り、国家賠償法上違法の評価を受けないと解されること(最高裁第一小法廷昭和六〇年一一月二一日判決・民集三九巻七号一五一二頁)などを考え合わせると、行政府(そこに属する公務員)は、法律の改正案の提出に関し、原則として、国民全体に対する関係で政治責任を負うことはあつても、個別の国民に対応した関係で法的義務を負うものではなく、右の提出行為(提出不作為も含む。)は、立法行為についてと同様の容易に想定し難いような例外的な場合でない限り、国家賠償法上違法の評価を受けるものではないと解するのが相当である。
本件で問題となつている昭和五八年総選挙及び昭和六一年総選挙の当時、本件不作為が右の例外的場合に当たるかにつき検討するに、原告らの援用する最高裁昭和六〇年七月一七日判決が昭和五八年総選挙の神奈川県第三区における選挙を違法とした原審の判断を是認したことは、原告らの主張するとおりであるが、昭和五八年総選挙当時、旧公選法の定数配分規定を違憲とする確定した裁判所の判断がなかつたこと、昭和六一年総選挙当時、現行公選法の定数配分規定を違憲とする確定した裁判所の判断がなかつたことはいずれも当裁判所に顕著であること、及び前述の行政府としては、裁判所による違憲判断が確定した場合は格別、それが憲法に適合しないとの理由で執行を拒否しうる立場にないことに照らすと、本件不作為はいまだ前述の例外的場合に当たるとは解し難い。
したがつて本件不作為が国家賠償法上違法であるとする原告らの主張は、失当というべきであり、本件損害賠償請求は、その余の点につき判断するまでもなく、いずれも理由がない。
三結 論
よつて、本件の差止請求に係る訴えをいずれも却下し、本件の損害賠償請求をいずれも棄却し、訴訟費用の負担につき、行訴法七条、民訴法八九条、九三条一項本文を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官鈴木康之 裁判官太田幸夫 裁判官青野洋士)